明治初年、日本の夜明けと供に小島洋酒店は誕生しました。

山形藩・第九代藩主 上杉鷹山

「上杉の城下町」として知られる米沢。
現在も、上杉家ゆかりの史跡が町に数多く息づいています。
上杉神社は米沢城址(松岬公園)に建てられており、戦国の名将・上杉謙信を祀る神社です。
当初は山形藩・第九代藩主 上杉鷹山を合祀していましたが、鷹山公は新たに設けられた摂社「松岬神社」遷されています。
この方は、「武」でなく「学」の方で知られていて、”自助・互助・扶助”の『三助』の精神を根本方針として江戸時代に米沢藩の財政難の藩をたて直した功績が有名です。
この名言は子息に教訓として詠み与えたものだそうです。
土地の美しさは、それを作り出した人々の精神も豊かで美しいということ、病人や障害者は近隣で目を配り、老人を敬い、飢饉では裕福なものが競って貧しいものを助ける・・・という鷹山公の『三助』の方針はまさに、物質的にも精神的にも美しく豊かな地域共同体をつくりあげたということです。
取り組みのひとつとして、殖産興業を百姓だけではなく藩士たちにも積極的に作物を植え、育てることを命じたそうです。
また自らでも率先して城中でも植樹したり、一汁一菜を実行し、その精神論を身をもって示すという藩主だったそうです。
鷹山公の17歳からの55年にもおよぶ改革に共鳴していくように武士たちに・・農民たちに・・鷹山公の精神が拡がり、財政難のなか『三助』の精神で産業振興、学問振興、開拓、水利事業などに取り組み飢饉を乗り越え、米沢藩の財政を再建したのでした。
鷹山公の思想は現在の民主主義思想。
当時封建の世にあってはこの政治信条は類がないということです。



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