ワイン造りの夢をかなえるため32歳で脱サラして醸造学校に通い、1988年からヴーヴレで自らのワインを造る傍らでアンボワーズの醸造学校で講師の仕事も掛け持ちで行っていました。その時の生徒がティエリー・ピュズラであり、フランソワ・ニックであるわけです。「まがったことが大嫌い」という彼がガチガチのINAOと衝突してしまったのは結果的には必然だったのかもしれません。結果1999年にドメーヌを引き払って各地を回り、2001年に現在の妻であるナタリーと知り合ってから再起を決意して2002年にジャニエールの地でこのドメーヌ・ル・ブリゾーを立ち上げたのは皆様ご存知のとおりです。
2006年には妻ナタリーの愛称から取ったナナというネゴシアンを立ち上げました。